

兵庫県芦屋の富裕な実業家の次男として生まれた白洲次郎。180cmを越す長身とニヒルな風貌を持ち、十代でイギリスに留学して、超高級車ブガッティとベントレーを乗り回し…とだけ聞けば、資産家のボンボンが、恵まれた容姿とあり余る金に飽かせての破天荒な生き方がイメージされる。しかし、もしそれだけだったなら、彼が“日本で最高にダンディな男”と評されることはなかっただろうし、没後20年以上が経った今もなお多くの作家、評論家が、彼を題材に筆をとることもなかっただろう。
白洲次郎はイギリス留学中、ケンブリッジに学び、伝統のクィーンズ・イングリッシュを身につけ、オートレースや伯爵家との交流を深めながら、英国流のマナーやファッションセンスを自分のものとした。帰国のきっかけは実家の倒産という不幸なできごとだったが、その後も英字新聞記者や貿易関係の職に就いて外交力を発揮。第二次世界大戦に日本が参戦した時から敗戦を予測して農業に生きるなど、常に自分の価値観と信条に忠実に生きた。
戦後処理にあたり、マッカーサーに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめたエピソードは有名だが、その後は請われても政治に身を投じることはなく、実業家として数々の企業の経営にあたった。
日本で最初にジーンズを履いた男ともいわれた彼は、80歳過ぎまでポルシェを乗りこなし、時には有名デザイナーのモデルを引き受けるなど、人生そのものがスタイリッシュだった。彼が正子夫人とともに晩年を暮らした屋敷「武相荘(ぶあいそう)」(東京都町田市)は、公開されており、遺品の数々に彼らの感性をしのぶことができる。